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"菜翁が旨"さんのほほ~ぇむ健康ペ~ジ

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いきいきとんぼ(水陸両用の履物…わらぞうりで通学していた頃の思い出)

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          いきいきとんぼ

小学校には“わらぞうり”で通学していたころである。

雨の日には、足の後ろはおろか背中から頭のうしろの上まで”はね”が跳んでくる。
”はね”というのは、濡れた”わらぞうり”を履いて歩いたり走ったりして草履の後部から飛び散り上がる水しぶきのことである。
その”水しぶき”には道路の泥を含んでいるから、”水しぶき”というより”泥しぶき”である。
“泥しぶき”の汚れは腕白小僧の勲章のようなものでもあった。

この、”わらぞうり”というやつは、結構便利な水陸両用の履物である。
小川に入るときにもそのまま履いて入れるのである。
石垣の穴に手を突っ込んで魚を手づかみで捕獲したり、網で獲ったりしていた。
石垣に手を突っ込むと、時折、指先を”ずがに(もくずがに)”のはさみで鋏まれることがある。
こんなときは、たいがい、挟まれた指先からは血がほとぼしでることになる。

こうやって獲った魚は、育ち盛りの子供の大切な蛋白質とカルシウムの補給源になる。
獲った魚がバケツの中で、白い腹を見せてアップアップすることがある。
こんな時には、その魚を川の水のなかで、しっぽをつかんで上流に向けて”いきいき活き活きとんぼ”と声を上げながら魚を前後にゆらしてやる。
こうしてころあいを見はからって、手をはなすと、川の中で泳ぎだすものがいる。
こんなやつは、そのまま川にもどしてやる。
活きいきのいいやつと、”いきいき活き活きとんぼ”でも活きいきき戻らないやつを家にもって帰って、醤油で煮て食べる。

どじょうには”泥どじょう”と”しまどじょう”の主に二種類がいた。
“どろどじょう”はその名のとおり、泥のあるいわゆる”泥たまり”に棲んでいた。
近頃の夜店などで時折みかけるのはこの”どろどじょう”である。
"どぜう鍋"にするのも、”どろどじょう”である。
"泥どじょう"はその名のとおり、泥を飲んでいるので、獲ってもバケツのなかで少なくとも一晩、泥を吐かせる必要がある。
塩干狩りで捕って帰った"あさり"を一晩砂抜きするのと同じようなことである。
泥を吐かせた"どろどじょう"を生きたまま呑み込んだことがある。
胃袋のなかで、長い間、のたうち回っているのをしっかりと感じることができた。

冬に小川の水が干上がってしまうと"泥かき"をする。
泥を素手でかきわけて、泥のなかにいる"泥どじょう"を、泥のなかから探し出すのである。
この"泥どじょう"で「どぜうなべ」をしたことがある。
鍋に活きた泥どじょうと豆腐をいれて、コンロの火にかけて一生懸命にうちわで扇いだ。
だんだん鍋の水が温かくなり、そして熱くなるが、ドジョウが豆腐に頭を突っ込もうとしない。
遂に、豆腐の外で息絶えてしまった。
当時の木綿豆腐は堅すぎてダメだったのだろうか?

さて、一方、”しまどじょう”は砂地のきれいなところに住んでいるので、直ぐに煮て食べる事ができる。
ただ、口元のひげは堅いので、油断してたまに指を刺されて血をみることがある。
ましてや生きたまま飲み込む事など、間違ってもしてはいけない。
喉や胃袋などを刺されたら、それこそ大変危険な状態になってしまう。
なんせ、救急車など存在しない時代なのである。

体力がついてくる5,6年生になると、小川の小魚のタンパクやカルシウムでは物足りなくなってくる。
このころになると、魚の獲り方にも、知恵と体力を活かせるようになる。
“つけばり”と呼んでいた。
15~20センチ位の堅い棒を作ってそれにタコ糸をくくりつけて、その先に"おもり"にする石をくくりつけて、先端に大きな針を取り付ける。
これを何本か作って、夕方、ミミズを捕って針に通して、川の石垣の穴に抜けないようにしっかりと棒を突っ込んで”おもり”とミミズをつけた針を川のなかの獲物のかかりそうな場所に垂らしておく。
特に”落とし”と呼ばれている、水田の水が落ちてくるようなところは獲物がかかりやすい。
朝早く、引き上げると、”ギンギン”とよんでいた銀色で口元には堅くて下手に触ると指を刺される大きなひげのある魚や”なまず”や”、どしんこ”とか”どんこ”と呼んでいた鱗のあろ鷹揚で餌の食いつきの良い魚や、運が良いと、うなぎがかかることもある。
うなぎかギンギンが嬉しい獲物であった。
うなぎはたいがい、糸にねじれて巻きついてしまっているのではずすのが大変である。
小魚にしろ、食感のある中くらいの魚にしろ、醤油で煮るだけである。
砂糖など手に入らない、甘味料といえばサッカリンとかズルチンが使われていた時代である。
醤油だけで生きたまま煮込む新鮮な魚の味をたっぷりと味わえたのである。
ダシは魚の骨から出てくる。

中学生になると、近くの一級河川で泳ぐことが出来るので、この河で”うなぎ”を獲るために”籠づけ”をすることも出来るようになる。
この竹で編んだかごを"うなぎかご"と呼んでいた。
"うなぎを獲る籠"ということである。

“籠づけ”は、餌にする沢山のミミズが要る。
ので、木陰にわらなどを敷いて、ミミズの養殖をしていた。
夕方、川に籠をつけ込んで朝早く、籠をあげる。
うなぎは、川の中の新しい石を好むので、それらしき石のうなぎの通り道になりそうな場所を選んで籠を川底に沈めて周りの石を、竹で編んだ籠が浮かんだり流されたり、重石で壊れたりしないように、重石を乗せておく。

”投げばり”というやつもある。
これは、数メートルのタコ糸の両端に重石を結わえ付けて、その中間には針を結び付けた数十センチのタコ糸を結びつけて、もちろん、針にはミミズを付けて、河を横断するように片方の石を投げ込んで付け込む。
これが”投げばり”というやつで、“籠づけ”と同様、一度に沢山の河魚を獲ることが出来る。

翌朝、ようやく東の空が明るくなりかけた頃に引き上げた籠は、口(鰻の入り口)を下にして上下に振って籠のなかの音を探って鰻が入っているのか、大きい奴なのか、と探る。
このときが一番楽しく嬉しいひとときであった。
獲ったうなぎは、大きくて形のよいやつは自転車で活きたまま魚屋に運んで小遣い銭にする。
残りのうなぎは古いまな板の上で頭に釘を打ち込んで、出刃包丁で背中を割って裂いて、醤油で付け焼きにする。
焼き始めてもまだ動いているほど新鮮な蒲焼が出来上がる。
醤油は二度漬けが一番美味かった。
二度漬けとは、少し焼きあがったころに、深皿に入れた醤油に漬ける。
その醤油が垂れて落ちなくなった頃に、もう一度醤油に漬けて、さらに焼き上げるのである。
適当に焼いているようで、慣れてくると絶妙のタイミングが分かるのである。
朝めしのおかずにするやつと、弁当のめしの上に乗せるやつとでは、醤油をつけるタイミングが違うのである。
昨今の”たれで喰わす”ような養殖うなぎとは、比べ物にならない天然うなぎの美味さをたっぷりと味わっていたのである。
朝飯のおかずで食って、さらに学校での弁当のおかずで食う。
獲れすぎて困れば、晩めしのおかずで食ってしまう。
勿論、小さすぎる奴は、持ち帰らずに川に戻して大きく育つころの上流の人に譲る。

学校にプールのなかったこの時代は、夏の水泳は、小学生は小川で、中学生は大きな河川で泳ぐだけでなく、”素もぐり”や”瓶つけ”などで魚を獲ったりもしていた。

日常の生活の中の自然のなかで、小・中学生との棲み分けをや小さな魚のリリースなどを通じて、自然との共生のルールをしっかりと学んでいたのである。

今でも田舎では、”子供達にも伝えたい自然の中での共生のルール”はしっかりと伝え続けられている。


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